そう、彼との出会いからの7年の間に 起こった
私の
人生の変化 は、、、、、
すごいかもしれない!!
一番の 恩恵は、、、、
もちろん
子宝を授かったこと
数年前までの私は、、、
多くの女性たちが 普通に 結婚したら、普通に 母親 になっていくのを
横目で見ながら、、、、
私は、幼いころから、 ママになることだけは 確信していたけど
なぜ、授からないんだろう、、、
長年 思いながら、諦めきれない想いが募っていた。
きっといつかは、、、、という期待は持ち続け、、、、
そんなときの、
カウンセラーの先生との出会いであった。
私の内面に秘められていた、鬱積していた気持ちや思いにも
私自身は、全然気づきもしないで、30数年を生きてきていたこと。
だんだんと、気づいていくことになった。
私は、22才の時に、母を子宮癌からの肺転移で、亡くしていた。
彼女は48才だった。そういえば、
母の命日は今月の16日だ。
だから、想いをつづる気持ちになっているのかもしれない。
私は、その時 もう親元は離れていて、死に目には合えなかったが、
実家から離れていたこともあって、
不思議と亡くなった という実感を持ち切れず、お葬式でも
涙さえ出なかった。
悲しいのか、何なのか、何も感じきれていない私がいたことは 覚えている。
一番悲しんでいたのは、おばあちゃん、母の実母だったと思う。
父もうちひしがれていたし、姉もかなりまいっていた。
母が、入院してしまってからの 実家は 悲しみの極地
おばあちゃんはずっと付き添って、
父と 姉は 自営業の理容店をきりもりしながら、
毎日見舞っていたみたいだった。
一度、母が、危ないということで、何日か 帰省できたけど、
その時に、私がナースということで、ドクターが 状況を
私に説明してくれたが、
転移の状況などよくないこと 説明してくれて、
母は 告知は受けていなかった。
知らないふりで、大丈夫だよなんて、母には はぐらかしていたけど、
痛みがかなりあるみたいだった。
母も少し元気な ふりをして、
カレーライスのおいしいつくり方の話など してくれたこと 覚えている。
直感で、
母は 自分の病気のこと 気づいているなあと感じていた。
悲しいけれど、そんな気持ちは、感じていないかのごとく
普通に 話をしていた。
今は、あの頃の自分のこと、
悲しい環境、シチュエイション から 逃避 ばかりしていたなあ と思う。
辛いこと、悲しいことは、 私には 耐えられない
と どこかで 思っていたから、
そんなことが目の前にくると、目をそむけたくなる。
辛いこと、悲しいことを否定していたんだね。
母が亡くなったことも、実は認めたくない自分がいて、
母の魂は生きているんだから、、、
と、どこかで母は、まだ生きている感覚を持ち続けていた。
だから、
辛いことは忘れて、気がまぎれるように、
ダンスや運動、忙しく体を動かして、 感じないようにしてきた私がいた。
家族の一人でも 死を告知されるような 病気になると、
家族の気持ち全体は もうやりきれないほどの悲しみに包まれる。
だから、病気にならないように、人は健康なライフスタイル持つべきだという
考えも持つようになっていた。
病気を否定した考え方だった。
先生に出会ってからは、病気に対する考え方も 全く変化した。
病気になるのも 全て意味のあること。
身体は、その人の生き方の真実を知っているので、
自分らしく生きていないことを 教えてくれるために、
そのような状態になっているだけのこと。
どの感情が阻害されると、どこの体の部分に影響を及ぼすとか、、、、
自分の体が作り出したものは、自分で治せるということ。
よく、病気と戦う!みたいな表現もきいたことあったけど、
それは 的外れな考え方なんだなあ と思うようになった。
病気をきっかけに、自分の内面に向き合うことができた人は、
病気のお陰で、とても大切なことに気づくことができました。
と話す人も多いよね。
母について想うのは、、、 母は とても 明るくていい人だった。
私は、母のいいところしか 見ないようになっていて、母はとても好きな存在だった。
幼いころに、親は自営業であまりかまってもらえずに、
おじいちゃんおばあちゃんに預けられていて
さびしい思い、わっかってくれないという思い
たくさんしたはずだけど、記憶が末梢されていて思い出せないのだ。
母は、頑張り屋さん、働き者、人のためによく動いていた。
早起き会なども行って、内面的なことにも向上心があった。
それでも、私たち子どもの 気持ちとか 扱ってくれたこと あっただろうか?
なくてあたりまえになっていて、そういう
気持ちの交流がされていない家庭だったと思う。
母は 母で、一生懸命 生きていた けれど、自分自身を大切にする。
というところを 忘れていたと思う。
今 先生に出会ったから、そのような母の内面的なことも 理解できるようになったけれど、
私も 出会わなかったら、
完全に 母の 生き方そのまま 無意識に 受け継いで、
同じような 病気になっていただろうと思う。
実際、一度 生理の時に、それまで 不順で量が少ないときがあり、
その後、量が急に増えた時に、3センチ四方の内臓の塊みたいなのが
トイレで、落ちてきて、仰天したことが あった!
それは、子宮筋腫みたいなものだったのだけど、
私が、私の鬱積したこれまでの気持ちに気づけなかったら、
これは子宮癌に 間違いなく変化していたんだろうなあ と直感で感じていた。
命まで救っていただいたんだなあ と、この先生との出会いに感謝の想いが溢れてきた。
この先生に、私を引き合わせてくれたのも 実は、
母の 計らい だったらしいこと。
ある霊能者の方に見てもらったことがある。
母は 亡くなったときに、とっても苦しんだらしい。
自分の病気が、子どもたちにも、引き継がれていくのではないかという心配
を強くもっていた。
そこで、
母は、私が気付ける 場を 捜し求めて、この沖縄の地に
私を導いてくれたらしい。
ここでしか 気づけないこと。
お母さんの 愛 を感じました。
ありがとう。 お母さん