2008年09月25日
私らしい「子育ての基本となるもの」第3弾を終えて
先日の秋分の日、
最後の子育てフォーラムは、北部地区、名護で開催されました。
はるばる南城市から、来てくれた方もいました。
夫婦で来てくれた方、保育園の先生や園長先生まで 来てくれていて、 感激でした。

子連れOKであったので、
子どもたちが、ちょっとはしゃぎすぎたりして、騒がしくなったことも
ありましたが
ありがたいことに、みなさんの温かいご理解があり、
あまり気にせずに聴講していただきました。
最初は、参加者のみなさんも、少々緊張気味のご様子でしたが、
会も半ばを過ぎると、金城先生のユニークさに、
レッドカーペットにも劣らぬ程の笑いの渦もあったりして、、、
私もたくさん笑わせてもらいました

ほんとに、私たちの 普段の生活に、あまりにもユニークさが、欠如していることを
思い知らされてしまいます。
書面では、どうしても伝えにくいこの先生のお話のユニーク性、
みなさんにも、生で、その面白さを味わってもらいたいくらいです。
さて、あらためて、今回のフォーラム、てぃーだまぁみーずとしての私の想い、
つづってみたいと思います。
まぁみーずの理念も含めて、普通の何の特別な能力もない新米ママたちが、
なぜ、あえて、社会にこれらのメッセージを 発信していきたいのか?、、、
てぃーだまぁみーずは、子どもたちに、将来、元気で明るい社会を手渡すために、
まずは、社会を作り上げている原点のお母さんから、元気になって、楽しい子育てを始めていこう!
という想いで、 親子共に育ちあう楽しい子育てを 提案しながらの活動をしています。
昨年の12月に初めての子育て講演会、「親子の絆を深める子育て」~なぜママを選んできたの?~では
横浜の「胎内記憶をもつ子どもたち」の研究をされている産婦人科医の池川明先生と、
沖縄からは、円隣企画専任講師のカウンセラー、私たちも長年お世話になっている、金城幸政先生のお話で、
子どもが、実は親を選んで、生まれてくること。
子どもは、親に本当の愛を教えにきてくれていること。
子どもは、お母さんが、自分自身を大切に、自分らしく生きることを望んでいること。
などなど、改めて、子どもを持つことの意味も知り、子どもへの愛情が一層深まる講演会をなりました。
それらを、ふまえて、今回の 私らしい「子育ての基本となるもの」 を聞いてみると、
今回、私の中で、つながりつつあったのは、
先生がお話しされた、人間性の中の「常識的まじめ」と、「人間的まじめ」
私含めて、ほとんどの大人たちが、この常識的まじめにはまってしまい、
人間的まじめを忘れてしまっていること。それが、愛からはほど遠いということなのだが、、、
子どもたちの方が、よっぽど、お母さんのウエストのこと気にかけてくれていたりして、
自分を大切に扱ってほしいと思いやりの目で見てくれていて、人間的まじめであるのに、
それを壊そうとする、大人の姿が客観的に見えてきました。
常識的まじめっていうのは、「社会は、こういう考え方だから、普通は、こうすべきなのよ!」
では、個人的にお母さんはどう思っているの?と聞いても、社会の意見しか答えない、、、 みたいな。
子どもは、個人的に「個」としての意見を求めているのに、「公」の意見しか言ってくれない大人に、
人間同士の付き合いを、どうやって学んでいくのだろうか。。。? というようなこと。
歯磨きだって、歯を磨いたら、気持ちいいよねぇ。だから磨こうね。
ではなく、
虫歯にならないように!歯磨きをしなくちゃダメだよ。
みたいに、不安に根ざして、ほとんど、「やらないと、こんななっちゃうぞ~!」
と脅しの作戦で、子どもと関わっているのだ。
脅しで、なんとか、子どもをコントロールしようとしていることが、見えてしまうと、
ひとりの人間に対して、なんて、失礼な関わりをしているんだろう、と思えてくる。
そして、それも、すべて、承知の上で、チャレンジしてくれている子どもたちが
健気にもありがたい存在だなあということ。
大人が、生活自体を好きにならないと、好きでないことを、
また、子どもに押し付けようとしていることも失礼だよね。
お皿洗いだって、おかたづけだって毎日のこと、
お皿洗いが、生きることだって言っても過言でないくらい生活に根ざしているのに、
あ~あ、また洗わなくっちゃ、みたいな気持で洗っている誰かさん、、、
もう洗うもんだと、あきらめて、洗うんなら、楽しく洗いましょ!
子どもが、やりたい~といったら、おう!一緒にやろうぜい!
とお皿あらいも遊びの一貫!楽しくやりたいよね。
親が、ついつい、早くやった方が手っ取り早いから、
子どもは、まだだめよなんて、やっちゃうけど、
なんだか、すべてにおいて、短気なかかわりしているんだなあ、
もっと、ゆったいくわったいできないかなあ
と、我ながらも思ってしまう。
生活家族という言葉、金城先生が、よく出してくれる言葉だけど、
生活の一つ一つ、当たり前にできることが、いかにありがたいかということも
忘れてしまっているんだなあと思う。
かつて、身体が動けず、手足も動かず寝たきりになってしまったことがある、先生が、
お水をストローで飲めただけでも、ありがたかったこと、話してくれたことがあったけど、
ストローを発明してくれた人の想いも感じ取れたこと
「普通」であることが、いかにありがたいことかということを、、、
私も含めて、みんなが、思い出せたらいいなあと思う。
おとたけさんの「五体不満足」なんて、いうメッセージが
必要ない世の中になるべきだよなあと思いました。
人間、自覚しないことは、変えられない。
自覚は魔法
ということは、私個人的にも、一番のテーマになっています。
参加者の方の質問でも、自覚するには、どうすればよいのですか?


とありましたが、、、
この話は、又、あらためて、、、
最後の子育てフォーラムは、北部地区、名護で開催されました。
はるばる南城市から、来てくれた方もいました。
夫婦で来てくれた方、保育園の先生や園長先生まで 来てくれていて、 感激でした。


子連れOKであったので、
子どもたちが、ちょっとはしゃぎすぎたりして、騒がしくなったことも
ありましたが


あまり気にせずに聴講していただきました。
最初は、参加者のみなさんも、少々緊張気味のご様子でしたが、
会も半ばを過ぎると、金城先生のユニークさに、
レッドカーペットにも劣らぬ程の笑いの渦もあったりして、、、

私もたくさん笑わせてもらいました


ほんとに、私たちの 普段の生活に、あまりにもユニークさが、欠如していることを
思い知らされてしまいます。
書面では、どうしても伝えにくいこの先生のお話のユニーク性、
みなさんにも、生で、その面白さを味わってもらいたいくらいです。
さて、あらためて、今回のフォーラム、てぃーだまぁみーずとしての私の想い、
つづってみたいと思います。
まぁみーずの理念も含めて、普通の何の特別な能力もない新米ママたちが、
なぜ、あえて、社会にこれらのメッセージを 発信していきたいのか?、、、
てぃーだまぁみーずは、子どもたちに、将来、元気で明るい社会を手渡すために、
まずは、社会を作り上げている原点のお母さんから、元気になって、楽しい子育てを始めていこう!
という想いで、 親子共に育ちあう楽しい子育てを 提案しながらの活動をしています。
昨年の12月に初めての子育て講演会、「親子の絆を深める子育て」~なぜママを選んできたの?~では
横浜の「胎内記憶をもつ子どもたち」の研究をされている産婦人科医の池川明先生と、
沖縄からは、円隣企画専任講師のカウンセラー、私たちも長年お世話になっている、金城幸政先生のお話で、
子どもが、実は親を選んで、生まれてくること。
子どもは、親に本当の愛を教えにきてくれていること。
子どもは、お母さんが、自分自身を大切に、自分らしく生きることを望んでいること。
などなど、改めて、子どもを持つことの意味も知り、子どもへの愛情が一層深まる講演会をなりました。
それらを、ふまえて、今回の 私らしい「子育ての基本となるもの」 を聞いてみると、
今回、私の中で、つながりつつあったのは、
先生がお話しされた、人間性の中の「常識的まじめ」と、「人間的まじめ」
私含めて、ほとんどの大人たちが、この常識的まじめにはまってしまい、
人間的まじめを忘れてしまっていること。それが、愛からはほど遠いということなのだが、、、

子どもたちの方が、よっぽど、お母さんのウエストのこと気にかけてくれていたりして、
自分を大切に扱ってほしいと思いやりの目で見てくれていて、人間的まじめであるのに、
それを壊そうとする、大人の姿が客観的に見えてきました。
常識的まじめっていうのは、「社会は、こういう考え方だから、普通は、こうすべきなのよ!」
では、個人的にお母さんはどう思っているの?と聞いても、社会の意見しか答えない、、、 みたいな。
子どもは、個人的に「個」としての意見を求めているのに、「公」の意見しか言ってくれない大人に、
人間同士の付き合いを、どうやって学んでいくのだろうか。。。? というようなこと。
歯磨きだって、歯を磨いたら、気持ちいいよねぇ。だから磨こうね。

ではなく、
虫歯にならないように!歯磨きをしなくちゃダメだよ。

みたいに、不安に根ざして、ほとんど、「やらないと、こんななっちゃうぞ~!」

と脅しの作戦で、子どもと関わっているのだ。
脅しで、なんとか、子どもをコントロールしようとしていることが、見えてしまうと、
ひとりの人間に対して、なんて、失礼な関わりをしているんだろう、と思えてくる。

そして、それも、すべて、承知の上で、チャレンジしてくれている子どもたちが
健気にもありがたい存在だなあということ。

大人が、生活自体を好きにならないと、好きでないことを、
また、子どもに押し付けようとしていることも失礼だよね。
お皿洗いだって、おかたづけだって毎日のこと、
お皿洗いが、生きることだって言っても過言でないくらい生活に根ざしているのに、
あ~あ、また洗わなくっちゃ、みたいな気持で洗っている誰かさん、、、

もう洗うもんだと、あきらめて、洗うんなら、楽しく洗いましょ!

子どもが、やりたい~といったら、おう!一緒にやろうぜい!

とお皿あらいも遊びの一貫!楽しくやりたいよね。
親が、ついつい、早くやった方が手っ取り早いから、
子どもは、まだだめよなんて、やっちゃうけど、
なんだか、すべてにおいて、短気なかかわりしているんだなあ、

もっと、ゆったいくわったいできないかなあ

と、我ながらも思ってしまう。
生活家族という言葉、金城先生が、よく出してくれる言葉だけど、
生活の一つ一つ、当たり前にできることが、いかにありがたいかということも
忘れてしまっているんだなあと思う。
かつて、身体が動けず、手足も動かず寝たきりになってしまったことがある、先生が、
お水をストローで飲めただけでも、ありがたかったこと、話してくれたことがあったけど、
ストローを発明してくれた人の想いも感じ取れたこと
「普通」であることが、いかにありがたいことかということを、、、

私も含めて、みんなが、思い出せたらいいなあと思う。
おとたけさんの「五体不満足」なんて、いうメッセージが
必要ない世の中になるべきだよなあと思いました。
人間、自覚しないことは、変えられない。


ということは、私個人的にも、一番のテーマになっています。
参加者の方の質問でも、自覚するには、どうすればよいのですか?



とありましたが、、、
この話は、又、あらためて、、、

Posted by けんぺいまま at 10:35│Comments(0)
│私育てと子育て